始動!2009年度☆
11月27日に、09年度の合同委員会と出向者激励会が行われました。2009年度と言う文字が看板に謳われた初めての場に参加して感慨深いものがありました。頑張れ、09!室伏理事長!
※出向者激励会では、JC宣言を暗唱出来ない出向者に罰を与えました♪
11月27日に、09年度の合同委員会と出向者激励会が行われました。2009年度と言う文字が看板に謳われた初めての場に参加して感慨深いものがありました。頑張れ、09!室伏理事長!
※出向者激励会では、JC宣言を暗唱出来ない出向者に罰を与えました♪
講演や講義で必ず質問をする人、と言ったら、うちのメンバーは間違いなく、この伊藤秀彦か佐野智彦の名を口にするであろう。
小学校1年生の時、「学校に行きたくない」と突然泣き出した朝、オフクロが僕に理由を尋ねると、算数が分からないからと答えたそうだ。確かに記憶の薄い部分に残像が残っている。黒板に書かれた「ひきざん」という文字。四苦八苦して「たしざん」を覚えたのに、今度は難問の「ひきざん」。勢い良く手を挙げている周りのルームメートを横目に、僕はうつむいていた。「なんで、みんな分かるんだろう」
「聞くは一時(いっとき)の恥、聞かぬは一生の恥」
という言葉をオフクロが最初に言ったのはこの時だったと思う。それから、事あるたびに言われてきた言葉。
そんな僕が大きくなって今の、質問魔、「どちて坊や」になったのである。
※ただ、おかげで、小学校、中学校は一日も学校を休まない「皆勤賞」をもらった。ちなみに、うちの
弟は高校まで「皆勤賞」だった。
障害に会う事を人はこう言う。「壁にぶつかった」
人によっていろんな壁の乗り越え方がある。
①一人で何とか、よじ登ろうとする人。時間がかかっても~
②それでも無理なら、道具を使ったり、
③人に頼んだりする。
④壁の前で”あぐら”をかいて、じっと壁を睨んだりする。
⑤穴が開くくらいみる。というより穴を開けてやろうと思う。
⑥壁の性質を分析する。よじ登ることが可能か、高さが低くなっている部分がないか。
⑦とりあえず、いったん諦めて、別の道、遠回りをしたりする。
⑧しばらくして、また同じ壁の前に立つと、難なく超えれそうな気がする。
⑨そして、難なく超えてしまう。
⑩自分が成長したと感じる。
日々、忙しいと、じっくり分析したり、遠回りしたり出来ないんですよね~
全国大会のアワード(褒賞)の時に、一際目を引いた男がいた。白いタキシードの男だ。彼は臆することなく、所属している青年会議所名を呼ばれると登壇した。司会者から促されて、挨拶をしようとした理事長が、
白いタキシードの男を一瞥して、彼にマイクを預けた。彼は、誇らしげに言った。
「自分は卒業生です(JCは40歳になると卒業します)。数年前、専務理事をやっていました。理事会の最中、理事長と大喧嘩して以来、JCの活動をせず、眠っていました」
会場の一部が笑った事を確認してから、彼は続けた。
「このまま眠ったまま卒業するのかな、と思っていたところ、お声がかかって目を覚ましてJCに戻りました。
戻った時に目の当たりにしたのは、当時80名いたメンバーは30名近くに減っており、メンバーはやる気と自信をなくしてました。行政からもナメられ、地域住民からも見捨てられ・・・JCは、こんなもんじゃない、
見せ付けてやろう!と思い、老体にムチを打って委員長として動き回りました」
振り返って、同じく壇上に上がった理事長とメンバーに笑顔を見せ、
「後輩たちに、立派なお土産を残すことが出来ました」
と語調を強めて挨拶を閉じました。
名前も知らない白いタキシードの男、カッコイイ!!
最高でした!そして、最高の男を見つけました!
小田会頭。あなたと一緒に2008年のJCを動かして来れたことに感謝してます。東海フォーラムなどで質問などをして、顔を覚えていただいたかもしれませんが、涙ながらの事業報告に感動いたしました。あなたは、常に言ってくれてました。「主役は全国の711人の理事長です」と。その一言が今年の僕の原動力でした。本当にありがとうございました。
安里繁信副会頭。挨拶に込められた力強い信念。僕もJCプライドを取り戻そうとしている一人です。入会してからのモヤモヤのあなたの所信や挨拶が吹き飛ばしてくれました「我々の活動や運動が認められていない訳ではない。あなた方自身が認めてられていないのではないのか。会社の役員として、父親として、夫として、そして人間として・・・」次年度会頭の凄さを知りたければ、日本JCのHPより所信を読んでみてください。
中島和生副会頭。卒業式でのあなたの言葉に、会場が水を打ったように静かになりました。例年、卒業式は騒然とした中で行われるのですが、あなたの”伝えておきたい”という心が会場を沈めました。
「JCは楽しいばかりじゃない。苦しくたっていいじゃないか。その分、誰かが救われると思えば」
最後に、アワードの時に見た白いタキシードの謎の男。その男の話は次回、ご紹介します。






4日、かりがね祭に行ってきました。手作り感あふれる暖かいお祭だなと思いました。場に合わぬスーツ姿だったので、目立ったらしくいろんな方から声をかけてもらいました。たくさんの出店が立ち並ぶ中、ふと思い出したことがありました。
幼かった頃、両親が僕たち兄弟にお金を持たせて、2人だけでお祭へ行かせたそうです。二人の子どもがどのような買い物をするのか見るために、後ろから隠れて両親が付いていったという話です。
「それで、どうなったの?オレは何を買ったの」
「ヒデ(僕です)は、一番最初のお店で使っちゃったよ、それも、オモチャじゃなくて・・・」
「多分、ニッキかな。その頃、オレ、何故か、焼き鳥屋で売っているニッキが好きだったから」
「それで、シンヤ(弟)は、お店を全部見てから、慎重にオモチャを選んでいたね」
「なるほど、シンヤらしい」
「そう言えば、オモチャを選んでいる時、シンヤはヒデからお金を取られて、泣いていたっけ」
「なるほど、オレらしい」
最初のお店で、お金を使い果たすという無計画さ・・・前回、お話したとおりの話ですね。
※写真は、投げ松明、コスモスなどです。
小学校、中学校の時、授業の合間の休み時間は、仲の良いもの同志でトイレに行くことが当たり前になっていた。いわゆる”つれション”である。誘ってくれるのはとても有難いのだが、僕は、それが、どうも苦手で、トイレぐらいは行きたい時に行くと思っていたので、あまり”つれション”はしなかった。
昔から一人でいることが苦ではなかったせいか、つるむこともせず、好きな時に好きなことをしていたことを覚えている。クラスの中では、仲良しグループが幾つもあったが、要領のよい僕は、すべてのグループに属していたが、どこのグループにも専属にはならなかった。グループ内で出てくる、他のグループの人の悪口には、耳を塞ぎ、口をつぐんだ。「同じクラスだから、仲良くやろうよ」いつも、そう思っていた。そんな、イソップ童話でいう「コウモリ」的な性格が幸いして、今では、クラス会の幹事をよく頼まれる。誰とも仲良くやれる人間として通っているのかな。
グループとか派閥とかも良いかもしれないけど、多くの人に接して仲良くなることも大切なのでは・・・
「お金を払うから”いただきます”を言わないんですか」
という公共広告機構のCMがありました。
「誰の為に言うんだろう?」
「もちろん、料理を作ってくれるお母さんにでしょ!」
「じゃあ、お母さんは、いただきます、をしなくていいんだ」
「ああ、んじゃあ、お百姓さんにじゃない」
「じゃあ、お百姓さんは、いただきます、しなくていいんだ」
「う~ん」
数分後、この話は、以下の結論で纏まった。
”いただきます”は誰に言うものでもない。目の前にある料理に対して言うべきではないのか。
肉や魚は動物の命を犠牲にして、僕らの前に並んでいてくれている。いや、肉、魚だけではない。
野菜や果物、飲み物だって、植物の命が犠牲になっている。その犠牲にしてくれた「命たち」に
対して、「いただきます」を言うのではないだろうか。
MOTTAINAI (もったいない)という言葉は、日本独自のモノだそうです。その精神って大切ですよね。

屋形船の後、遠藤哲也先輩に呼んでいただき、全国大会運営会議の同窓会へお邪魔しました。以前、ブログでも紹介させていただきましたが、京都会議でも同様の会が行われました。もちろん、安里繁信副会頭もいらっしゃいました。各先輩方からも、当時の様子を聞かせていただきました。時には熱く、そして笑いながら話される皆さんがうらやましく感じました。「自分がトキメキを感じていないと、周りにもトキメキを与えることができない」と、4月例会の講師の言葉がふと頭をよぎりました。
それから、車で富士に帰ってきて、その運転をしてくれた村松まさき(初対面でした)君の誕生会を行いました。もちろん、彼は運転する身だったので、それまでお酒は一滴も飲んでません。初対面な方の誕生日祝いをするという初めての体験をさせてもらいました。笑顔の素敵な、すこしシャイな青年でした。
先ほどの懇親会(屋形船)に行くのに手ぶらではマズイだろう。と言うことで、お酒を差し入れる為に、銀座のデパートの酒屋さんへ。環境に優しいワインはないか?と店員さんに尋ねました。店員さんも、いろいろ頭をひねってくれていましたが、その様子を見て、ニヤついてる外人を発見。「何か?」(もちろん、日本語で)と言うと、「出来れば、そこにあるワインを買ってもらいたい」と隣にいた女性の通訳さん。聞いて見ると、その棚においてあるワイン工場のオーナーさんだとか。「うちのワイン(ブルゴーニュ地方)は、無農薬だし、環境にも配慮している」(もちろん彼はフランス語で、通訳さんが日本語)「あ、そうですか、それなら、いただきましょうかね」と金子佳久専務(もちろん、日本語)。「じゃあ、このワインのラベルにもサインをしてもらったら」と島本範生(もちろん、日本語。それを通訳さんがフランス語で彼に伝える)。
と、言うことで、記念撮影を撮りました。彼の名前は、ドミニク・ラポンさんです。酒屋が一時的に盛り上がり、一時は人だかりまで作ってしまいました。そうです、僕らは田舎者です!
19日、ふじさんめっせのオープニングを終えて、そのまま東京のJC会館(青年会議所会館)へ飛び、ブロック会長会議を見学(オブザーブ)しました。その後、当青年会議所の島本範生君が出向している、日本JC環境教育実践委員会の懇親会(屋形船)にお邪魔しました。卒業生でもある島本君は、委員会メンバーから慕われていました。そして、良い意味でこき使っていただいておりました。委員会の皆さんは、通年よりも事業数が多く、既に3つの大きな事業をこなしている事もあってか、すごい結束がありました。その中で金子佳久専務とお邪魔して、私たち2人が浮いてしまうのではないかと心配しましたが、水に溶けるように、あっと言う間に馴染ませてもらいました。ここの委員会は、以前、ブログでも紹介しました「地球温暖化アクションプラン」の担当委員会です。もちろん、委員会の懇親会は「大人の背中」。マイ箸持参で食べ残し禁止。今回も「完食達成」」(2回目)(写真はデザートのパイナップルの完食)です。若旅吉則委員長と共に、若々しくJCという旅を続けてくださいね、島本君☆ え~、この人って!!っていう出来事がありました。詳しくを見る→
富士山メッセで多くの方、先輩をお見受けいたしました。その中でも、特に目立ったお二人をご紹介します。まずは、富士山メッセのロゴマーク最優秀賞(写真参照)に選ばれた深澤秀幸先輩。白いジャケットが眩しかったです(写真は市長からの表彰です)。デザインの中の青いMラインはメッセの頭文字。青は、富士山と駿河湾の色も表現しているそうです。そして、シャボン玉のように見えるのは、産業や人、モノの交流の場となって広がっていくことをイメージしているそうです。
ちなみに、ふじさんめっせの語源は、富士山、富士産、富士SUN(太陽)の3つの意味。メッセはドイツ語で「見本市」だそうです。勉強になりましたか?
あとお一方は、小林邦洋先輩です。商品を売りながら、富士山の世界遺産登録を啓蒙する板(写真参照)を配っていました。あまり似合っていない青いTシャツで照れくさそうでしたが、お客様と笑顔で会話をされている姿が新鮮でした。もし、その写真が欲しい方は一声かけてください。
講師(佐藤泰博氏)のお見送りと全運の皆さんのお出迎えが同日の午前中と言うこともありまして、2時間程、新富士駅にいたところ、多くの方とお会いしました。個人的なお客様も数名いましたが、まずは、喫茶店で先日の制水工での事業を協力してくれた森瑞樹さん。次には、私と同期入会の先輩、丁偉韜(ていいとう)先輩。あとは、山﨑建治先輩をお見かけしました。お忙しいにもかかわらず、笑顔で相手してくれた3名の方に感謝です。
18日、日本JC全国大会運営会議(第一小会議)が富士の地で行われました。今年は静岡県の浜松で全国大会が行われます。(10月9日~12日)その、”全運”に当青年会議所から5名の出向者を輩出しています。その中で、この第一小会議には、我らのホープ、杉山純史君が配属されています。彼の熱い想いにより今回の富士での小会議が開催されました。全国より10名のJCメンバーが集まっていただきました。懇親会での室伏和徳副理事、上柳正仁監事、金子佳久専務の言葉。「今まで、外(他の青年会議所)の人と富士のメンバーがこんなに深く交わったことはないんじゃない?」
最高の懇親会でした。大城副議長を始めとする皆さんからも感謝の言葉をいただきましたが、感謝しなければいけないのは我々ですね。懇親会で深く交わった富士のメンバーは彼らから多くの事を学んだのでしょうか?
沖縄っていいなあ、と思ったことがありました。それは、詳しくをみる→
またまた、良い言葉と出会ってしまいました。(有)ミソノ写真館の佐藤泰博氏の口から出てきた言霊が、
富士宮と富士のJCメンバーの心に突き刺さりました。
”トキメキ”という文字デザインのハッピを着て、スイッチが入った佐藤氏。その講師に会場中が釘付けになりました。3人の方と出会って磨かれた佐藤氏の「人間魅」。その多くの体験が我々には共感が出来、中には涙するメンバ^-も。
「兆」の可能性を手で掴むために「挑む」。「兆」の可能性を目の前にして「逃げる」。
周りがそうさせるのでなく、すべての要因(勝因も敗因も)は自分の中にあるのです。
私のスイッチはJCバッジでしょうか。 バッジを付けて、スイッチを入れ、「理事長挨拶」で皆さんの心に言霊をぶつけていこうと思っています。
15日(水)、御殿場に行ってきました。会議開始よりも少し早く着いたので、会場のチェック(写真)をしてから、付近を散策していると島田専務が仕事をしてました。スーツも似合いますが、仕事着も似合いますよ♪
会議中の講演では、富士山の測候所に勤めておられた芹澤早苗様が、「富士山と私」という題目で話をされてました。富士山頂の壮大な景色などをスライドで紹介しながら、山の恐ろしさも教えてもらいました。「下るとき、落としたカメラのキャップを拾おうとして数百メートルも滑落して亡くなった~」などという話が、自然に口から出てくる事に、驚きと奥深さを感じました。富士山で何人もの仲間を失ったそうです。僕たちも自然の美しさを恐ろしさを知らなければいけませんね。
※富士山会議とは・・・富士山を囲む7つのJC(裾野、富士宮、三島、御殿場、沼津、山梨県の富士五湖、富士)が富士山の世界遺産登録の推進の為に20年以上前に結成しました。
懇親会では、御殿場JCさんが、特製富士山チラシ(写真)をご用意いただきました。多分、もう、作らないとの事です。突然ですが、僕がカミナリが苦手になった理由を知りたい方は、詳しくを見てください。
「最近の子どもは挨拶が出来ない」と言いますが、果たして我々も上手に挨拶が出来ているのでしょうか。以前、例会でお招きした方がこんな事を言っていました。「挨拶は上から下へ流れるものです。部下からの挨拶がないと機嫌を損ねる上司がいるけど、挨拶は上から下。これが今の常識だそうです。宴会での席でもお酌を注ぎに来ないと機嫌を損ねるよりも『いつも、頑張ってくれてありがとう』と声をかけて回るのも必要」
いろんな意見があるかもしれませんが、子どもは我々の背中を写す鏡です。子どもたちへの不満の原因は我々にあると考えましょう。子どもたちを変えるのは難しいですが、我々が変わることは簡単です。何故なら、我々次第でどうにでもなる訳ですから。周りを変えられなくても自分は変わることができます。このように書いている自分でさえも、ちゃんと挨拶できているのかどうか心配ですけどね。
6日、午後からブロック会議が行われました。午前に行われた役員会が白熱したため、時間が遅れての開催となりました。疲弊した表情の各委員長でしたが、どなたも立派に任務を全うされていると思います。
静岡JC、内田貴典委員長(先日は同部屋で失礼しました)。伊東JC、小川鉄平委員長(あなたの想いを形にしましょう)。天竜JC、櫻井尚孝委員長(通称、中川委員長)。焼津JC、石川真委員長(ご結婚おめでとうございます)。沼津JC、勝又誠委員長(うちの秋山卓也の世話をありがとう)。
22人の理事長を相手に議案を上程すること事態がスゴイんです。麦は踏まれて踏まれて強くなる。
お互いに頑張りましょう。
写真は、2009年度ブロック会長、原口茂和君が誕生した瞬間です。大きくアップで写ってしまっているのは、今年の宴会理事長(宴会部長!?)、中伊豆JCの金刺厚史理事長です。(肖像権は了解済み)
ネクタイは、浜松の全国大会で、副主管の理事長がするものです。
土曜日、恒例の「花見」が米ノ宮神社で開かれました。少し緑の葉っぱが覗いてましたが、まだまだ桜色が溢れてました。当日は多くの先輩方にお越しいただきました。そして、たくさんの話をさせていただきました。
我々の「夢」、エリア構想「ちょっくら富士市だら~」も話題に出ました。富士市に立ち寄れるサービスエリアを作ることが我々の夢です。夢を語ることをツマミとして、有意義なお酒の時間を楽しませてもらいました。
※当日、写真を撮ることを忘れてしまいました~ 感謝は、詳しくを見る→
30日、掛川にて"とうかい号"の説明会が行われました。様々な同胞との出会いだけでなく、新しい自分にも出会える研修船。乗船前の不安顔が、1週間後に船から降りてくる時には自信に溢れた笑みに変わっている。JCが得意とする研修を船の中でみっちり行われるようです。興味のある方は、是非、当事務局までお問い合わせください。
普段と違う空間だからこそ、思いっきりのめり込める。自分を知る人がいないから、新しい自分を試せる。何かを求めてやってきた仲間が傍にいるから助け合える。
ドラマを見て泣くことがあっても、やり遂げた達成感で泣くことって大人になると減りますね。
全ての乗船者に幸あれ!! 当日説明会に来てくれた乗船者の様子は詳しくを見る→
29日、まちみらい創造図、もりづくり編が終わった後、小田原に飛びました。富士の名前を背負って頑張っている5人の出向者(上柳正仁監事、西原真弓、志村静二、鈴木邦通、杉山純史)の激励とお世話になっている全運へのお礼です。日本JC全国大会運営会議の伊藤清郷議長から「富士のメンバーはすごい!皆が一生懸命だし、目立っている」と褒められました。今年は、県内の浜松JCが主管することもあって、大いに協力をするつもりでいます。まちみらい創造図、もりづくり編の成功を伝えたところ、出向者への激励の一つになったようです。出向者の皆さん、富士の名前をどんどん広めてください。
全国大会の情報は当ホームページのリンク、日本青年会議所から飛んでください。
「人事を尽くして天命を待つ・・・でなく、人事を尽くして天命をもぎとった。小田原にはそんな印象があります」と挨拶の冒頭でお伝えしました。当日、対話集会が行われたそうですが、小田原の理事長が相当悔しい思いをしたと聞きました。寒い冬の後には花開く春が来ます。写真は、小田原城のサクラを車内から撮りました。
29日、「まちみらい創造図、もりづくり編」と題して、こどもの国近くの森林で制水工作りを行いました。市内ではサクラが咲き乱れていましたが、森の中は緑と土色ばかりでした。気を抜くと季節さえも忘れてしまいそうでした。その中で、汗をかいて木材などと触れ合っていると何ともいえない充実感がありました。花見も制水工も自然とのふれあいなんですね。富士山を世界文化遺産に登録する前に、現場を知らなければいけない、まちづくり政策委員会の勝亦英介委員長が言った通りです。
写真の中の椅子は、富士地区林業研究会の会長であり、静岡県指導林家でもある佐野政明さんが丸太から作ったものです。素晴らしいチェーンソー裁きで、丸太から可愛らしい椅子が産まれました。
ご協力いただいた富士地区林業研究会の皆さん、ありがとうございました。その他の感謝は、 詳しくを見る→
28日(金)、社協(社会福祉協議会)の評議会に出席してきました。よく、耳にする”社協”ですが、正直、どのような事業をされているかが、把握できていませんでした。今回、事業報告書、予算書を目にして、概要を知ることが出来ました。以前、JCとしても何度かお付き合いさせていただいたにも関らず、恥ずかしい限りです。
議案としては、富士市と富士川町の合併による、社協の合併契約の件もありましたが、それ以外に、面白い話を聞きました。障害者支援施設の売上金が伸びているということです。市役所2Fの市民ホールに置いてある「出会いの店”あいあい”」のクッキーなどの売り上げが好調だということです。
http://www.city.fuji.shizuoka.jp/~ex-shakyo/shakyo_new_hp/jyusann.html
更に、新しい事業展開として、”まつぼっくり”が廃食油を精製してバイオ燃料を販売するということです。
今は、小規模授産所という名前が使われていないことも驚きでした。
小規模授産所の存在を知ったのは、学生の時でした。学生時の、甘酸っぱい思い出に関しては、詳しく見るをクリック→
2007年度の報告や2008年度の予算などを審議させていただきましたが、一番興味深かったのは、地球温暖化防止アクションプランの発表でした。
1、2は難しいかもしれませんが、3の食べ残しをしないようにするというのは、どうでしょうか。懇親会などでどうしても多量に注文をしてしまう傾向にあります。「MOTTAINAI」(もったいない)精神で、もう一度考えてみましょう。我々の背中を子どもたちが見ています。
総会終了後、皆さんと一緒に「もんじゃ」に行きました。おいしかった~もちろん、完食しました。
お久しぶりです☆2ヶ月以上もブログの更新を空けてしまった事、すべて、私の怠惰によるものです。三島の堀江章理様、そして中村哲也先輩、ご指摘、ありがとうございました。再会、一発目は、今週の日曜日に行ってきた日本JCの総会です。場所は東京ビッグサイト。いや~その大きさにビックリ!思わず写真を撮ってしまいました。まるでスターウォーズに出てくる戦艦のようで、ワクワクしてしまいました。講演では、C.Wニコル氏の話を聞いて、日本の自然が豊かなことを知りました。イギリスでは、熊が900年前、イノシシは400年前に絶滅しているそうです。この豊かな自然を守ることも、我々の世代の担いではないでしょうか? ゴールデンウィークのお得情報は、詳しく見るをクリック→
1月19日、12:00~12:15。
趣向を変えたと聞いて楽しみにしていた恒例のシニア会員との昼食会。しかし、総会への出席の為、挨拶だけになってしまいました。それでも、「5分でも開始時間が遅れたら、挨拶も出来なくなるから、時間だけは頼んだよ」と言う依頼に見事応えてくれた稲葉信元委員長、工藤雅仁室長に感謝です。僕らの事を無条件に応援してくれるシニア会員との数少ないふれあいの場。もう少し、のんびりしたかったなぁ。
でも、その間、私の代わり、京都国際会館の入り口で、他の理事長に混じって声を出してくれていた海野幸男委員長にも感謝☆
1月19日 8:50~9:30
全国大会オリテンでドアマンをやっていた上柳正仁君、志村静二君(写真)。9:50~11:00はローカルコミュニティ復活セミナーで河内雅紀君。この2箇所は伺うことが出来ましたが、16:45から行われた環境教育等トレーナー養成セミナーに島本範生君の活躍を拝見することが出来ませんでした。富士の地を離れて活躍する出向者は輝いています。代役の室伏和徳副理事長に感謝。詳細へ。
多くの方々と名刺交換をさせていただきました。普段、絶対にお話できないような方々とも、富士JCの理事長と言う職を借りて、社交の場を楽しませていただきました。
その中でも特筆すべきは、この方の名刺です。Radio-F社長の林哲司様。
作曲家として有名な方で、杏里の「悲しみが止まらない」の他、数多くの楽曲を世の中に送り出しております。
アイドル時代の菊池桃子にも多くの楽曲をしているそうで、中学生当時、彼女のファンだった僕にとっては、お会いできるだけでも感動です。
FエリアにいるならRadio-F 84,4FM http://radio-f.jp/
このコーナーにて理事長の日頃の活動をブログ日記式に掲載していきます。
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